LIFEEEEE!

”生きるように学び、学ぶように生きる” 

ローレンツに学ぶ「動物行動学」

   

人間は動物からなにを学ぶのか? 

   

 人間は生物や動物から技術面では多くを学んでいるが、動物の心や意識などの内面はあまり知られていないし学んでいないのではないだろうか。世の中は「社会の側面」と「技術の側面」で流れており、ある程度解明されているが、人間の精神面や脳などについてはあまり解明されていない。

 

たまたま見つけたこの本は「動物行動学」という点から、これらの疑問に対してなにかしらのヒントを与えてくれるものであると考え、興味を持った。

 

ソロモンの指環動物行動学入門 (1975)

ソロモンの指環―動物行動学入門 (1975年)

ソロモンの指環―動物行動学入門 (1975年)

 

 

具体的には

・動物の行動にはどういう意味があるのか?

・動物はなにを思い、どう行動するのか?

・人間がよく飼っている犬や猫ならある程度の生態について分かっているが他の動物はどうなのだろうか?

・どのような動物の行動が人間と通じるのか

・動物を理解することは人間への理解を深めることにも通じるだろう

・ソロモンがどのように動物と会話をしていたか

・動物の行動の意味を知りたい

などなどの素朴な疑問があった。

 

読み終えた感想としては、単なる動物に関する単なるエッセイ集だなと感じたのが正直なところ。とは言っても動物と共に生活をし、動物たちと愛し合い、その行動を解明したことはとても意義のあることだと思う。

 

人間はまだまだ動物から学ぶ必要がある。

 

 ミドリムシの活用など解明されているものは生活の向上に大いに貢献している。イルカやクジラの持つテレパシー能力、動物による地震予知能力など生物には未解明な点も多い。これらは、科学の進歩とともに解明されるであろう。

 

matome.naver.jp

 

ただ、実験によって明らかにするのではなく、ローレンツ博士のように動物に触れ合いながら、その生態を追求していくことも必要なことであろう。そうすることで、見えてくる本質的な動物の生態。本書は、その片鱗に触れることができたという点では非常に素晴らしい本であった。

 

これからの時代、人間らしさとは?意識とは?心とは?

など、人の持つ価値観、道徳観、倫理観などがより問われるようになる。

 

どんな価値に重きをおくのか?

 

その上で、重要な視点を与えてくれる本書であった。

 

本書と同じ締めくくりで終わりたい。

「いつかきっと相手の陣営を瞬時にして壊滅しうるような日がやってくる。全人類が二つの陣営に分かれてしまう日も、やってくるかもしれない。そのときわれわれはどう行動するだろうか?ウサギのようにか、それともオオカミのようにか?人類の運命はこの問いへの答えによって決定される 」。さてわれわれは、いずれの道をえらぶであろうか。

 

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すべてはひとつ、ひとつはすべて

 

”全ては一つであり、一つは全て”

これは私の根源的な思想であり、一生変わることのない考え。

まさにこの言葉の通りだが、全て(宇宙、無限)は個であり、個(人、細胞、原子)もまた全てを含むという意味である。

つまりは、全ては一点にまとまるということ。

 

ビックバン理論が正しければ、まさに極小の一点からこの宇宙は生まれ、無限に広がっている。始めは単なる”点”から始まったのだ。簡略化していえば、点が広がって、銀河ができ、太陽系ができ、地球ができ、人類が創造された。

 始まりが一点であれば、別々の個体となってもその個体が持っている情報は同じだと考えることができる。

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人間を細かく見ていくと、上の図のようになる。

60兆個の細胞(タンパク質からできている)→分子→原子→原子核(陽子・中性子)→素粒子(点状ではなくひもからできているという考え=超ひも理論)

これらはどの人間ないし、動物でも同じようになっている。あとはDNAの設計(タンパク質を作るための設計図)が個体ごとに異なり、それぞれ別の人間になっているだけのこと。

 

インターネットの発展にみる収束

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   Visualizing Friendships

インターネットの本質とは「瞬時にコミュニケーションがとれること」。電気が生まれ、電話機が発明され、携帯が生まれ、スマホが生まれ、アプリケーションが生まれ、ウェアラブルデバイス(身につけるデバイス)が生まれ、埋め込み型デバイス(グーグルのコンタクトレンズ型など)が生まれ、ゆくゆくは脳内チップなど身体の一部となっていくだろう。

 

その状態になればどうなるか?

答えは簡単。より瞬時にコミュニケーションが取れるようになる。わかりやすく言えば、”テレパシー”が実現する。これは言い換えれば、人類が一つになることを意味すると考えている。ある意味で原点回帰。瞬時に思ったこと、感じたことが共有され、1:70億のコミュニケーションが実現する。そして、「風が吹けば桶屋が儲かる」「バタフライエフェクト」という言葉があるように、誰かの思いや誰かの苦しみなどが瞬時に伝わり、もっとわかりやすく因果関係があらわになる。

このように、我々が認識しているこの世界は単に”点”が分裂しているだけなのだ。そのちらばった点を収束させようとしている段階がネットの発展している今の時代であると見ている。

 

  

人間という”点”から考える

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聖書をみれば、人間はアダムとイヴから始まったとある。その二人から広がり、現代では70億人の人間が存在する。元を辿れば、たったの二人なのだ。

本来、一つのものが単に分裂しているだけなので、そこには争う理由もなにもないはずだが、現代では争いは絶えない。理由は資本主義社会のもと、「お金」が存在しているから。イエス・キリストの「隣人を愛しなさい」という言葉が解決策の全てであると考えているが、そううまくはいかない。なぜなら、そこには70億人の思惑があるからだ。大枠で宗教別にみても、35%がキリスト教、22%がイスラム教、14%がヒンドゥー教、6%が仏教、0.2%がユダヤ教と、これだけ分かれる。更に国家、人種、資本力など細分化すればするほど、思惑の方向性はズレることになるだろう。

 

大切なことは、一旦全てを疑うこと

なぜ、宗教が存在するのか?そもそも宗教は存在するべきなのか?

なぜ、人は信仰するのか?なにを信仰しているのか?信仰によって、なにを得る?

 

預言者は違えど、崇めている神は三大宗教で共通の「唯一神ヤハウェ」である。

  • ユダヤ教:モーセ、旧約聖書+タルムード
  • キリスト教:イエス・キリスト、旧約聖書+新約聖書
  • イスラム教:ムハンマド、旧約聖書+コーラン

 

なぜ、同じ神様を別々の宗教で信仰しなければならないのだろうか?

そもそも、創造主をビックバン理論の点と解釈した場合、「全ては一つで、一つは全てである」にのっとり「自分は創造主であり、創造主もまた自分である(厳密にいえば、創造主の意思なのか、”何か”が自分にも宿っている)」という論理が成立するのではないだろうか。

 

つまり、なにも宗教を信仰する必要はない。その創造主とつながるための手段として宗教があり、人々にわかりやすく創造主の意思を伝えるために預言者が存在したのだ。預言者は神の言葉を伝えるためのあくまで仲介者。自分の中にその”何か”を感じ取ることができれば、もはや宗教の入り込む余地はない。また、この宇宙を「生命による創造の連続」と考えた場合、我々の創造主も他の創造主によって創造されたとなる。よって、我々の創造主も始めの創造主の仲介者となり、信仰の対象に成り得ないだろう。

つまるところ、創造のバトンタッチ(連続)をつなぎとめているもの、あえて言葉にすればそれは”愛”であろう。

 

なぜ、創造の連続が続くのか?破壊してもいいではないだろうか?

創造された者の行き着く先もまた”創造”なのである。

人間もまた、人工知能によって新たな生命(あえて生命と表現)を生み出そうとしているのは周知の事実である。創造するときに込めるもの、それが”愛”である。よって、この世界の本質は”愛”なのだ。宇宙を宇宙たらしめているもの。それは”何か”の意思なのか、”何か”の身体の一部なのか、”何か”の思いつきなのか、、、

 

その”何か”とは。それが創造主自身を指すのか、単なる点とみるのか。真実は文明がどこまで発展してもわからないだろうが、そこには自分の中にも感じるぬくもりのような”何か”があるはず。その”何か”こそ、”愛”の正体である。だからこそ、人は宗教で愛を語り、音楽で愛を奏で、詩で愛を謡い、言葉で愛を伝えているのだ。

 

抽象化の重要性

最後に、こうやっていま述べてきたことの中で行ったのは抽象化といった思考展開である。今回の話はどれも抽象的な話ばかりであったと思う。具体的な話はまたにするとして、さらっと全体の表面を述べたという感じ。抽象化とは、簡単に言えば抽象度を上げれば具体的ではなくなり、反対に抽象度を下げていけばより具体的になるということ。

この抽象化は世界をよりよく理解するためにとても重要なことでもあると考えている。ある物事を抽象度を上げてみていくことである段階で共通している点に気付くことは多々ある。

例えば、人間を考えてみると具体的にみれば原子から成り立っている。原子から抽象度を上げていくと、、、

原子<分子<細胞<男<人間<日本<地球<太陽系<天の川銀河<大宇宙<多元宇宙

最後には「宇宙」と、どんどん抽象化することができる。これを仮にFacebookのトップ画をレインボーにすることで一躍認知された「LGBT(同性愛者、両性愛者などの人々を意味する)」で考えてみると、そもそも男性・女性と考えるからややこしくなる。抽象度を上げ、同じ人間同士が愛し合うと考えれば、なにもおかしいことはない。つまり、男性・女性から抽象度を上げ、”人間”という共通項を見出すことによって、問題を問題として捉えないことが可能なのだ。このように狭い視野で収まらないようて、なにか問題に出くわした時には抽象度を上げることが重要である。 

これは全てに当てはめることができ、数学や物理学、宗教学などの学問でも同様である。企業理念なども抽象化した本質を言っている。このように、具象化された世界(ちりばめられた点)を抽象的に理解していくことが人間の行ってきたことだと理解している。

 

 文明は繰り返しているという考えではあるが、その文明の進化も抽象的な概念へ近づいていった姿である。よって、現代の一度リセットされた文明も抽象化していくことが重要となる。

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分裂され、ちりばめられた点をつなぎ合わせ、共通の意味を見出し、一つの点へと向かっていくことが、、、それがネットの発展による収束で伝えた内容である。バラバラになっている「人間という個の存在」「集合知としての全体」へ繋げるためにネットというものがあり、現代文明はそこに一直線に向かっているのは明らかである。

 

最後に行き着く先は一つ。

”全ては一つであり、一つは全て”を真に理解し、感じること。

 

そうすれば、愛というぬくもりを感じながら生きることができ、

隣人を愛せという言葉の意味も理解することもでき、人に心から優しくなれるだろう。

そんな人が増えれば、きっと社会はもっとより良くなる。

 

選択と集中

あれもこれもやりたい。

 
読みたい本はたくさんある。行きたいところもたくさん、世界遺産を全て周りたい。会いたい人もたくさん。
 
旅をしたい。
シンガポールへ行きたい、インドも行きたい、瞑想したい、アマゾンで暮らしてみたい、オーロラ見たい、ラスベガスのカジノも行きたい。
 
変わった体験をしたい。
深海に潜ってみたい、潜水艦で1週間くらい旅したい、秘境に行きたい。
 
極めたい。
Webを極めたい、エンジニアリングも極め、宇宙工学も極め、宇宙事業を行いたい。宇宙から地球を見てみたい。
 
より良くなりたい。
より知識や智慧をつけたい、行動しまくりたい、人から尊敬されたい、注目を浴びたい、感謝される人間でありたい。
 
ただの欲の塊だ。  
 
あれもこれもやりたい。
 
一変にはできない。その時々で選択し、そのことだけに集中し、一つ一つやっていかないといけない。
 
一つ一つ積み上げていく者が強い。
 
頭では理解できる。
現実に落としこんでやらないと。
 
 
難しいものだ。
 
選択と集中。

これまでの革命とこれからの革命

 
未来はどうなるか?
歴史は繰り返されるのか?
 
という命題はいつの時代も議論の中心である。未来は予測するものなのか、訪れるものなのか、イノベーターが作り出すものなのか。ひとつだけわかっていることは”未来は誰にもわからない”ということであろう。
だからこそ、計画を立てる意味があるし、不確実性の中に生きるからこそ不安も感じるし、まだ見ぬ未来にワクワクすることもできる。
  
そんなわからない未来を考えることは、生きていく上で重要なことだ。
 
未来を考える時の考え方として、大切なことの一つとして歴史を振り返ることが挙げられる。私もその必要性を感じ、古典や宗教、歴史などを深く認識するよう努めている。 
 
IT革命の時代と言われているが、そもそもどのようにIT革命が始まって、どういう歴史の流れの中でITというものが生まれたのか。もっと俯瞰してみたときに人類史の中での革命ってどんなものがあったのだろうか、などと疑問に思い、いろいろと調べてみた。
 

ドラッガーの考える人類史における革命

まず、経営を語る上で欠かせないドラッカーによれば、今起きている情報革命は、人類の歴史から見れば4番目の情報革命だそうだ。では、ドラッガーの考えている革命とはどの革命のことなのだろうか?ジャストな記事を見つけたのでこちらから引用、付け加えて紹介したい。

 


第1回 インターネットが歴史始まって以来の革命というウソ (1/2ページ) - ドラッカーさんはいいました――それは違う! : 日経Bizアカデミー

 

1.文字の発明

 文字は5000年から6000年前、古代メソポタミアで生まれ、それから数千年して中国で同じことが起き、中央アメリカのマヤ文明でも文字が発明された。

文字の発明


文字の歴史 - Wikiwand

 

2.本の誕生

 本の誕生は紀元前1300年ごろの中国で発明された木版印刷が最初で、そこからグーテンベルクが活版を発明し、本格的に本が生まれた。


本 - Wikiwand

 

3.印刷革命

こちらの革命は広く周知されているだろう。1450年から1455年にかけて、グーテンベルクが発明した印刷技術によって、世の中に広く知識や思想が広渡り、まさに「印刷技術は社会構造を変えた」のである

印刷技術の発明によって書籍が普及し、その結果として次から次へと大学が生まれ、教育制度を根底から覆した。ルターらキリスト教・プロテスタントの主張が本となって、それまで聖書やキリスト教の解説書を自らの目で読むことのできなかった一般大衆が読めるようになった。それまでは、ローマ・カトリックの神父の話を聞いて信じるしかなかったのです。印刷技術の発明の結果として、プロテスタントの主張がヨーロッパ全土にあっという間に広がり、宗教改革の下地をつくりました。

 

 4.IT革命

 2005年に亡くなったドラッガーだが、IT革命を肌で感じていたのは間違いない。(というか2005年という最近まで生きていたことを最近知りました。驚き。)だが、まだ発端にすぎないということを言わんばかりの言葉を遺している。

「それに比べれば現在のハイテクは社会構造を変えるまでには至っていない。高度に発達したコンピューターでさえ、内部のデータを加工しているにすぎない」

「コンピューターは自動車工場を自動化するなど運営面では絶大な効果を人類にもたらしたが、情報の変革という点から見れば、印刷技術が発明された時代と変わってはいない。」

「コンピューターやインターネットによって便利になったことが、革命そのものだと勘違いすべきではない」

「現段階での情報革命は、15世紀の印刷革命に比べれば衝撃度はまだ小さい。グーテンベルクが発明した印刷技術によるコストの削減は今の比ではない」

 

Gumi国光氏の考える革命

 先日といっても1ヶ月前くらいになるが、Gumiの国光さんが書いた記事を見つけた。2011年に書いたものだが、ちょうど革命を考える上で現代のIT革命を中心に書かれており、面白い内容だったのでこちらも合わせて紹介したい。


Facebookの次の覇者は、さらに多くの情報を収集、分析できる企業【gumi国光宏尚】 | TechWave

 

1.印刷革命 15世紀 グーテンベルクによる革命

こちらはドラッガーと同じ印刷革命について触れている。

 

2.農業革命 18世紀イギリス

ー灌漑技術などが発達し人類は自分たちで生産をコントロールできるようになった。
その結果、定住が始まり、集落が形成され、人口が増えた。そしてそれを取りまとめるために国家、法律ができ、宗教が必要になった。また、農業生産が増加した結果、人口革命といわれるほどの人口増加をもたらし、産業革命の要因の一つとなった

 

3.産業革命 18世紀半〜19世紀

情報のボトルネックとなる仲介者の部分を抑えた者が影響力を持った。産業革命は「マス革命」だった

 

4.情報革命 1980年以降

記事を読んでもらうとわかるが、Yahooのディレクトリから始まり、グーグル、Facebookのパーソナル情報の収集、AmazonのレコメンドシステムとIT企業の根幹となる技術の流れ、変遷をわかりやすく解説されているのでぜひ一読していただきたい。

データを収集、分析するところが覇者になる

まずは「収集」する新しい仕組みを作ることが重要だ。そこに非常に大きなビジネスチャンスがあるのだと思う。収集したデータのマネタイズはすぐに考える必要はない。マネタイズを考えて小さな仕組みにするより、まずは永続的に情報を収集できる仕組みに育てることに専念すべきだ。

 

これからの革命

今回はたまたまドラッガーと国光さんの記事が見つかったので、お二方の時代認識を紹介させていただいた。歴史は曖昧だ。常に勝者によって創られてきたものだから、事実ではないかもしれない。人によって認識も様々だ。だが、自分なりの歴史観を持ってこれからの時代を生きていきたいと改めて思う。

 

Gumi国光さんが語ったIT革命。この先が最近の2014年〜2015年のトレンドである。SNSによるパーソナル情報の収集の加速、キュレーションメディア、人工知能によるレコメンドシステムなど。最近の日本でいえば、人工知能を使った人材サービスなどがちょっとしたトレンドでもある。

そして、「データの収集」「分析の仕組み=人工知能」の次は、「人工知能でも未だ及ばない人間の創造力(創造力)やデザイン力、妄想力」というのがキーになってくるのだろう。

 

さらにその先は、SoftBank孫さんやAmazonジェフベゾスが言うように、むこう300年革命が続く。いまだIT革命はまだ始まったばかりだということ、300年続く革命の初期段階だということ。

そう思うと、なんて素晴らしい時代に生きているのだろうか、とつくづく思う。こんなにも刺激的な時代があるのか。非常に楽しみな時代だ。

 

今、生かされていることに感謝し、革命の中に生きる者として未来を創っていく一人でありたい。

 


「300年後は平均寿命が200歳に」:【全文】ソフトバンク孫正義が予測する“テクノロジーの進化” | U-NOTE【ユーノート】

 

 


世界の4000年間にわたる国家間の興亡の流れが見るだけでザックリと理解できる「The Histomap」 - GIGAZINE

 


IT発展の歴史をまとめたインフォグラフィック「Evolution of The IT PRO」 - GIGAZINE

 

 

 

Samurai ー武士道 新渡戸稲造ー


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武士道 読了。
 
今回も前回同様に眠っていた本をやっと読み終えた。
ずっと読みたかった新渡戸稲造の武士道
 
『武士道』の原題は「BUSHIDO The Soul of Japan 」。滞米中の新渡戸稲造が英語で書き、明治三十二年(一八九九)にアメリカで出版された。そして、数年のうちにドイツ語、ポーランド語、フランス語、ノルウェー語、ハンガリー語、ロシア語、イタリア語などに翻訳されベストセラーとなった名著である。
ここまで広く読まれたのも時代背景の影響が大きいためであろうが、それに見合うほどの内容が詰まっていて良かった。
 

 

目次

1章 武士道とは何か

2章 武士道の源をさぐる

3章 「義」武士道の光り輝く最高の支柱

4章 「勇」いかにして肚を錬磨するか

5章 「仁」人の上に立つ条件とは何か

6章 「礼」人とともに喜び、人とともに泣けるか

7章 「誠」なぜ「武士道に二言はない」のか?

8章 「名誉」苦痛と試練に耐えるために

9章 「忠義」人は何のために死ねるか

10章 武士は何を学び、どう己を磨いたか

11章 人に勝ち、己に克つために

12章 「切腹」生きる勇気、死ぬ勇気

13章 「刀」なぜ武士の魂なのか

14章 武士道が求めた女性の理想像

15章 「大和魂」いかにして日本人の心となったか

16章 武士道は甦るか

17章 武士道の遺産から何を学ぶか

 

武士道の基本原理

武士道の基本原理は以下の宗教、思想から成り立っているという。

本中でもあったものを紹介する。

 

仏教

運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮辱、死への親近感などをもたらした

神道

他のいかなる信条によって教わることのなかった主君に対する忠誠、先祖への崇敬、さらに孝心などが神道の教義によって教えられた。そのため、サムライの傲岸(ごうがん)な性格に忍耐心がつけ加えられた

孔子の教え

道徳的な教義に関しては、孔子の教えが武士道のもっとも豊かな源泉となった。孔子が述べた五つの倫理的な関係、すなわち、家臣、父子、夫婦、兄弟、朋友(ほうゆう)の関係は、彼の書物が中国からもたらされるはるか以前から、日本人の本能が認知していたことの確認にすぎない。冷静、温和にして世才のある孔子の政治道徳の格言の数々は、支配階級であった武士にとって特にふさわしいものであった。孔子の貴族的かつ保守的な語調は、これらの武士統治者にとって不可欠のものとして適合した。

孟子の教え

孔子についで孟子が武士道に大きな権威を及ぼした。彼の力のこもった、時にはなはだしく人民主権的な理論は、思いやりのある性質をもった人々にはことのほか好まれた。

 

王陽明の影響

私は神道の教説にいいあらわされているように、日本人の心は王陽明の教えを受け入れるために、特にひらかれていたように思う。王陽明は、その良心無謬説の教義を極端な超越主義にまで発展させた。そして、単に善悪の区別に留まらず、心理的諸事実と物理的諸事実の性質も、また知覚しうる能力までもが良心にあると考えたのである。王陽明の思想のもつ個人の成長や平静に人格を発展させうる倫理的な意義には反駁できないものがある。 

 

ー語句説明 補足ー

傲岸・・・おごりたがぶってへりぐだらないさま

孝心・・・親孝行しようとする心

無謬・・・理論や判断に間違いがないこと

反駁・・・「反論」他人の主張や批判に対して論じ返すこと

 

健全であっても洗練さにはほど遠い気質は、古代の思想の本道や、脇道から拾い集められた断片的な教訓の束から、十分な糧を彼らの精神にもちこんだ。

 

 ”武士道”は断片的に各々の思想や宗教を取り入れ、独自で展開した思想であるということだ。このことを踏まえて本中では「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」について展開されている。

 

感想

武士道は最初にも述べたが、新渡戸稲造がアメリカにいる際に書いたものだ。

なので、武士として育ち、武士を知っている者ではなく、外(外国)から見た際の日本の武士道をあくまで描いている。そのため、外国の人々に訴えるように日本を美化するような記述は多く見受けられるが致し方ない。また、彼はクリスチャンでもあったためキリスト教の言葉の引用が多く(他の文献もみてみると、やはり世界中のクリスチャンをメインターゲットにおいて書かれていたそうだ)、ユダヤ批判と思われる一文も見受けられた。 

 

それはそうと、日本人の気高き精神をいつでも思い起こすことのできる良書であったのは間違いない。

時に立ち止まりこの本を手に取り、大切なものを見つめ直すきっかけになれば彼も本望であろう。”武士道”の精神は人々の心の中に残り、世代を超えて脈々と受け継がれる。”日本人らしさ”という漠然としたものから、そのルーツのヒントを知れる一冊であった。

 

また、歴史を振り返ると宗教が一気に広がったのも印刷革命があったからで、それまで一冊一冊書いていたものが活版技術により増刷できるようになり、人々はより多くの書物、文字に触れることができるようになった。いわば、文字が宗教・思想を広めたといっても過言ではない。

そう考えると、日本のことを世界に向けて伝えている書物というのはあまり思いつかない。やはり、この「武士道」が有名であろう。ただ、これも100年以上も前に書かれたもので、現代の諸外国の人々が知っているのかどうか。

つまり、今後ますますネットの普及やIotなどで国という境界がなくなり、グローバルになっていく世の中で、日本という国・日本人が世界で活躍していく際には書物という形で日本の精神を伝えることはもちろん、この”武士道”の精神を持って世界へ飛び立ち発信する者が増えれば、また日本は一歩前に進むのかもしれない。 

日本人なら一度は読んでおきたい一冊だ。

 

最後の締めの言葉にはあるクエーカーの詩人の言葉を紹介していた。

 

いずこよりか知らねど近き香気に、

感謝の心を旅人は抱き、

歩みを停め、帽を脱りて

空よりの祝福を受ける。