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プーチン大統領の大改革 vol.1

f:id:sam000urai:20160610224400j:plainPhoto Credit: malatyahaber44 via Compfight cc

  

 

プーチン大統領の大改革

 

プーチン大統領は現在、3期目の任期についている。1期目は2000年- 2004年、2期目は2004年- 2008年、3期目は2012年-現在(任期満了は2018年)である。

今回はその1期目に何を行ったかを見ていきたい。

 

改革は大きく3つに集約される。

 

①地方の力を削ぐことで「中央集権化」を進めた(中央集権化体制強化

②ロシアの金融と資源を支配する「新興財団軍団」の排除

③3つの経済革命の実施

 

中央集権化体制の強化

まず①に関して、具体的に見ていきたい。

プーチンが初の大統領選に勝利したのは2000年3月。そして就任早々に大改革を始める。それは、「連邦管区」の設置だ。

ロシアの正式名称はロシア”連邦”。そのロシア連邦は、日本の都道府県のような「連邦構成主体」からなる連邦制をとっているため、”連邦”と付いている。 日本でいう都道府県の代わりとなるものが、「共和国」、「地方」、「州」、「自治州」、「自治管区」で、合計で83の区域となる。47都道府県ならぬ、83連邦構成主体だ。プーチンの連邦管区の設置とはこの83の区域の上に7つ(現在8つ)の連邦管区として、まとめたことを言う。さらに中央集権化のため、連邦構成体首長(連邦構成主体の知事)は上院議員になれないというルールと、連邦政府は連邦法に違反した首長を解任できる権利を持つというルールを加えた。これらの改革によって、プーチン大統領のもとに全ての権力が集まり、一気に影響力を高めたのだ。

 

8つの連邦管区

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②ロシアの金融と資源を支配する「新興財団軍団」の排除

次に②に関して。プーチン就任以前、民主主義国家になる中で生まれた富の集中と格差。その中心となったのが、7人の「ユダヤ系新興財閥」だ。当時、彼らだけでロシア全体の富の50%を支配すると言われていたという。そして、この財閥らは権力と癒着することで脱税をするなどし、国民はその富の恩恵を受けることができていなかった。そこに目をつけたプーチンとプリマコフ首相はこの財閥らを排除するに至った。

 

ここで、簡単に背景となる歴史を振り返ってみたい。

1945年第二次世界大戦終戦後に行われたヤルタ会議におけるアメリカとソ連の領土分割協定を発端とし、その後の西側のアメリカと東側のソ連が対立することで始まった「冷戦」。そして、その冷戦は1989年にアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長間で行われたマルタ会議で終結が宣言された。ソ連周辺では同年、冷戦の象徴的でもあったベルリンの壁が崩壊、翌年の1990年には東西ドイツが統合された。冷戦終結後の1990年にはゴルバチョフ初代大統領が誕生し1年半ほど任期したのち、エリツィン大統領に代わられることとなる。

エリツィン大統領は冷戦時代のボロボロな経済を立て直すべく、IFM(国際通貨基金)から約226億ドルを借りた。IFMはお金を貸す見返りとして、大規模な民営化を指示。少々論理は飛躍するが、この民営化の中で生まれたのが上記の「ユダヤ系新興財閥」だったのだ。

 

③3つの経済革命の実施 

  1. 土地の私有と売買を自由化した
  2. 所得税減税 :12%,20%,30%の三段階→一律13%へ
  3. 法人税減税 :35%→24%

2.3の大幅な減税によって 、それまで納税しなかった国民が納税するようになり個人所得税収は2001年に前年比25.2%、2002年には24.6%、2003年には15.2%、2004年には 14.4%とそれぞれUPさせ、ロシア財政の黒字化に貢献した。この結果からも見えてくるように、プーチンが大統領になった2000年にはGDP10%成長を達成、以後2008年まで毎年7%程度、成長し続けた。さらに、就任していた2000年-2008年の間のほとんどの支持率は、なんと70%以上を維持していたというから驚きである。

 

以上、1期目のプーチン大統領の行ったことを見てきた。さすがはプーチン大統領!

次回は2期目、現在に至るまでを見ていきたい。  

 

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