身体性こそ人間らしさ 『人とロボットの秘密』より①
2008年発行の本だが、内容は色褪せることのないものであった。
表紙からはあまり魅かれないが、内容はとても面白かったので紹介したい。
この本を読む前までの考えは
『人間の本質は意識であり、その意識がネットワーク状に繋がった世界こそ本物である。意識が働き、目で観ることで物質が”ある”のであって、物質で出来上がっているこの現実は幻想に過ぎない。ならば、自分の身体も幻想に過ぎず、意味を持たない。身体がなくてもいいのではないか(将来的に意識をネットワークに乗せて、不死を手に入れることも可能だろう)』
結論から言うと、この考えが少し変わった。
『意識と身体があって初めて成り立つ。どちらか一方でもダメで、両者で補完しあってる関係性。つまり、この身体は必要だということ。身体性こそ、人を人たらしめているものなのだと。』
どのような点から考えが変わったか、記事の内容から辿っていきたい。
まず、ロボットとはなんだろうか?
ロボットの定義
「自動制御によるマニピュレーション機能又は、移動機能をもち、各種の作業をプログラムによって実行でき、産業にしようされる機械」
「実世界に働きかける機能を持つ知能化システム」
・ロボットは機械の延長線上である産業用から、自分で世界の情報を収集し、解釈する能力を備えたロボットへと変わりつつある。それはつまり、特定の管理された空間でなく、人が暮らす複雑な世界の中に置かれて機能するだけの汎用性を持った人工システムであるとのこと。
意識とは
・「知性そのものは身体から独立しても、思考の対象は感覚なしには現れない。だから感覚をつかさどる体が滅んでしまえば、魂も滅ぶ」ピエトロ・ポポナッツィ
・我々が意識することができるのはつねに感覚によってもたらされる
・人は「なにも考えていない意識そのもの」を意識することはできない
・「私自身と呼ぶものに最も奥深く入り込んでも、私が出会うのは、いつも、熱さや冷たさ、明るさや暗さ、愛や憎しみ、快や苦といった、ある特殊な知覚である」デイビット・ヒューム
・「人間とは、思いもつかぬ速さでつぎつぎと継起し、たえず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束あるいは集合に他ならぬ」デイビット・ヒューム
・「心とは、それそのものでは存在しない。外の世界を経験してはじめて生じるものであり、抽象概念だってやっぱりそうだ」デイビット・ヒューム
・実は意識とは「つねに何かを意識している意識」なのだ。何も受信していなくてもテレビはテレビとしてそこにあるが、一方何も意識していない状態の意識は発生しない。例えば夢は意識していても、眠りは意識できない。つまり意識とは何か情報とコミュニケーションしている”状態”であり、魂のような一つの絶対的な実体ではないようである。
ロボット研究の意義
・人にとってもっとも親しみやすいインターフェースは人。だから工学者は人型の機械を研究する必要がある
・人が機械とかかわる上において最初の入り口になるのはインターフェース。すなわちロボットの見かけ
・人間らしさを人型ロボットで再現する。そこから逆に人間らしさにとって必要のないものをそぎ落としていく。そうして最後に残るものが人間に「人間らしさ」を感じさせる原理そのものである
・ロボットを人間に近づけていく過程で、不気味の谷の概念が発生する
・人は一体何に人間らしさを感じているのか。人間らしさとは、どこに存在しているのか。
・アンドロイドで研究していることは、実は人間理解である
・技術の発展の先に残るもの、それはコミュニケーションである。この機能だけは機械に代替させることができない。
長くなりそうなので、後半に続く